散骨屋日記

散骨屋の夢

こういう商売に夢なんか?
と思ったら大間違い。散骨屋の夢は果てしない。

自然葬が日本で適切に理解され、それを望む人が多くなり、
例え自分は自然葬を望まない人でも、葬送の方法の一つとして
受け容れられる時代が来ること。=それが一番の夢だ。
もうそこまで来ているのだけども、
その曲がり角を曲がれば大通りになるという感じ。

でも、そのためには、規制ではなく秩序が必要だ。
最小必要限の法制化が必要な理由もそこにある。

それさえできれば後は自由に自分の思ったように葬儀をすれば良く、
特定の宗教を信じている人でも、その宗教が自然葬を認めれば、
宗教家に自然葬の式の一部を頼むことも可能になってくる。

宗教を信じていると、自然葬が出来ないわけではない。
今の時代にはいろいろな生活や知識の変化が起こっている。

それぞれの個人がそれぞれ別の考え方を持つようになってきており、
別個の考えを受け入れながら、社会的共同体を構成して来ている。
宗教もそうだ。

でも、残念ながら、幾つかの宗教は、旧態依然としたものに
しか感じられないし、生活に密着していないので、
分からないというのが実感だ。

そうかと言って、それを知る努力をしようとは思はないし、
まだ、助けを必要としていないのだから、その時はお願いしますと言う位でしかない。
自然葬を禁止する宗教があるのかどうかは分からないが、

別に歴史を紐解くわけではないが、昔カソリックは火葬さえも
禁止していたという。

また日本でも明治維新のころ神仏分離令が出て、1873年に
火葬禁止令が出てその2年後には撤廃されたように、
その時代の政府が、その都合によって葬送の方法までを
規制してきた歴史がある。
宗教も時代の流れに沿って変化してきている。

別に現在自然葬に反対する宗教や、禁止する立法の動きがあるとは
聞いてはいないが、
特定勢力の利益に反すると、これから台頭しようと言う芽を
摘む動きがどこからか出てくる。

そこで宗教家の方々にお願いしたいのだが、もし、自然葬を
自分の葬送の方法に選ぶ檀家や信者がいても自然葬は宗教に
相対するものではないことを理解してもらえれば、
宗教を信じる方たちも自然葬を望めば葬送の方法として選ぶ事
もできる。

でき得れば(故人が望むのであれば)どうしたら宗教もこれに
参加できるのか、参加する方法をお考え願いたい。

ただ参加して分からない経典を読むのではなく、時代の流れに
沿うような自然の形として万人が理解できるそれが望みなのだが。

理解といえばこの著書の中で、自然葬に反対する人は親戚縁者が
多いと書いた。
事実そうなのだが、理由は、自然葬に対する理解が低い
からであると思っている。

理解を促進させる為の活動は私たち業者の責任でもあるが、
自然葬を望む人たちの力も借りなければならない。

反対する方たちに気持ちよく「分かったと」言ってもらうためには、
自分達が自然葬の基本だけでも知らなくてはいけない。

現状では、言葉を理解していても内容を理解している人は
少ないので、もし自然葬を実施しようとしても、
反対する人がいる場合、充分な説明をして理解してもらうことができない。

反対する方のポイントの多くは伝統、先例、慣習に反するとの理由が多い。

まだまだ伝統・先例・慣習を重んじる方は多く、
その方たちの説得は時間と知識が必要な一大事である。

「さしみの法則」をご存知だろうか。
10人で会議をすると、
さ(3人)反対派
し(4人)どうでもいい派
み(3人)賛成派

が必ず出てくる。
だからどの人が「さ」「し」「み」なのかを判断し、10人の中
3人だけがが反対派だと思えば説得も説明も簡単になってくると
いうもので、他にも応用できる。

テクニックはともかく、内容は以下の項目がポイントであろう。

1)何よりも遺志であり、遺志をできる限り守る事が後に残った
  者の責務。

2)個人の一生は自分をどう葬送するかにまで拘る問題である事。

3)今に伝わる伝統・先例・慣習自体の多くが徳川時代の体制
  保持 のために作られたのだが、それら先例などが非常に
  重要視される葬式においても神仏習合であったり、
  仏教の宗派が違っていたり、先例・慣習は時の流れに
  よってその都度変化している事。
  等を説明し、「気持ちよく」お送りして頂こう。
先鞭をつけるためには何時でも努力が要るが、時の流れは
以前よりより速くなっているし、数年後には、こんな事もあった等と
笑い話になるその時を夢みてはいるのだが。

それこそ<夢のまた夢>になってしまうのだが、お墓が無いと
どうも拝めないと言う人は意外と多い。
だから私は海での自然葬の時皆さんに、
「今日からこのピラミッドより大きくて広い海が、皆さんの
そして、地球上で一番大きなお墓になります。」
「例えば、今度どこかをドライブしていて、道を曲がったら、
海が見えた時、そこは今日式を挙げられた、OOさんのお墓だと
思って、少しの間でも偲んで下さい」と言っている。

都合の良い事に日本は海に囲まれている。
どこの海であろうが陸続きならぬ海続きなのだから、
少し行けば海が見える。
どこでも故人が偲べるわけだ。
とは言え、できれば式を挙げた近くの海である方が心地よいのも理解できる。
そこで、わたしの夢だが、海の見えるどんな所でも良いのだけど、
そんな所へ何時でも花を植え、そこにベンチなどを置いて、
海を見、今は亡き人を偲び、その時々に、相談したり、報告したり、
時にはお弁当を食べたりする事ができるような、
<海の見えるベンチ>をいろいろなところに作りたいと思っている。「全国278店」などと言うお店があるが、あれと同じに全国に広がらせていければ良いのだが。

例えば、ガーデンアイランドと呼ばれるようなハワイの
カウアイ島などに公園をつくっても良いが、身近な場所で
気持ちがゆったりとできる場所で、
「アッ!こんな所に海の見えるベンチがあった」
チョイト一息、ベンチに腰掛け海を見ながら故人を偲べれば、
必ず平和な気持が持てるだろうし、自然葬の派生効果も出てきて、
もっと親しみやすくなるだろう。

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