散骨屋日記

自然葬が似合う人似合わない人

日本で散骨が知られるようになってからはまだ日が浅く、
ある意味ではミーハー的にその一面だけが
取りざたされていることが多い。
例えば、名女優の沢村貞子さん、時代を風靡した
X-JAPANのhideとか有名人を取り上げ、さもそれに追従する
ことが時代の先端を行くと考えるのかもしれないが、
私はそういう軽佻浮薄とまで行かないが、
流行を追う人は自然葬を選ばないと思う。

米国の駐日本大使として戦後の日本経済に復興に大いに
貢献し、役を免じた後も日本のお目付け役として、
何代もの日本の首相のコンサルティングをされた、
エドウィン O ライシャワー氏は、1990年に亡くなったが、
それでもなお且つ日本とアメリカとの掛け橋になりたいと
遺言に残し、ロスアンジェルスとサンディエゴの中間に位置する
ラホイヤ沖に散骨する事を望んだ。今でも太平洋から
日本の行く手を見守り、今後の舵取りを気にされている
のだと思うと、日本の政治家も襟を正さなければいけないだろう。

前述の有名人の方たちが自然葬・散骨を何故選ばれたのかは知るべくも無いが、

自分の確固とした強い信念と「自分はこう生きる」という
自分の生き様を考え、自己の美学が「自分の最期の締めくくり」
までを決めさせたように思えてならない。

元来日本人は自分の意思を述べる事を良しとしない部分があった。

戦後になり急に自分の意思をしっかりと持ちなさいと言われても
そうすぐに方向転換はし難い。
少なくともサイレンスマジョリティーでいる方が、ぬくぬくできる。

しかし、自分の意思をはっきり持ち、信念に沿い、自分の人生の
持てる時間を有意義に過ごし、自分を愛し、家族を愛する事の
できる人にしか自然葬は似合わない。

難しい事はいらないが強いていえば、下記のタイプで代表される
人たちが自然葬に興味を持ち、実際に自然葬を望む人たちのようだ。

私の経験では故人はハワイやアメリカが好きでしたのでここを
選びましたと言われる方が多いのだが話を深くお聞きしてみると
皆さんが一様に以下のタイプなのだ。

タイプ1
自分の住む地球を愛し、山の緑を見、安らぎをおぼえ、
海の青さに感動し、木々の芽のふくらみや、
葉の艶やかさに愛着を感じ、四季の移り変わりや
月の満ち欠けを愛で、ペットなどの生き物にも
優しさを与えられる、自然と一緒に遊ぶ事が出来る人。

タイプ2
自分が自分らしくある為には何をしなければならないかを考え、
昨日の自分と今日の自分、そして
将来の自分の指針を持ち、例え歩みが遅くとも人と比較することなく、
頭の中にあるコンパスを信じ、方向を決められる、
良い意味での頑固さが備わっている人。

タイプ3
リーダーシップを持って人と接し、自分を知り、
人を理解しようと努力し、他人の心の「痛さ」
をも感じる事が出来たらと努力する人。

なにやら宗教めいて聞こえるがそうではない、
タイプ3まで読んで、「これはダメだなこんなに素晴らしくないぞ」と思う人が大半だろうし、それでは散骨屋は職を失う。
要は「何をしたいか」を自分自身で考え、決められる人、と言い方を換えれば、
これならできるかもしれないとホッとする人も多いだろう。

崖っぷちから突き落としたり、安心させたりで恐縮するが
また突き落とす。

またまた言い方を換えると、散骨を終えてしまうと、
当然その遺骨を捜してきて元に戻すことは出来ないのだから、
最近テレビや新聞雑誌によく登場するし、流行みたいだからと選ぶものではない。
強い意思を持たない人には向いていない。

いつも「横並び」で物事を考え、「隣の芝生は緑」と思ったり、
何かを決める時にいつも人の顔色をうかがうような人には無理がある。
多くの日本人は、幼稚園、小学校の時から
「整列!右へナラエッ!」の号令で教育され、
目立つ人は嫌われ、ユニフォーム化され育ってきている。

個人主義と利己主義をひとまとめにして「出る杭」は打たれてしまう。
自分のアイデンティティーより「皆」という共同体の方を尊ぶ。

それで戦後の復興期を「みんなで力を合せ」と公私にわたり頑張り、多少の事には目をつぶり「皆で渡れば怖くない」と違法性もものともせずやってきたからこそ、やり得たといえない事も無い。

しかし、今は時代が違ってきた。コンピューターが個人の生活まで
密接に入り込んでき同時に「経験」というマニュアルに
見向きもしなくなってくる。

「語り部」として肘掛椅子に君臨した肩書き族は、失職し、
あれほど盛んだった意気は消沈し自信を失い失速した。  

悪かったのは自分に「強い意志」が無く、上司の意見は聞く
耳を持っても、異端の部下には耳を貸さなかったからで、
自分の意思さえあれば少しは自分の意見を言ってみたくもなるし、
間違っていてもそう体制に影響ないかもしれない。

よく考えた上での判断なら例え少数派でも、少なくとも
自分だけはいつも味方だし、

人のせいにしないで済む。そうなれば自らが強くもなれる。

意思の上にも3年ですよ。これからでも遅くはない。

人の判断を待たず自分で「善し悪し」を考えれば「意思」と
「自信」は自然と生まれてくるのだから。

大多数の中高年の男性は自分で自分の葬儀を考えるのが嫌だそうだ。
それなので、「妻に任せる」まだまだ一人立ちができない人が多い
その点女性は真剣に自分の葬儀や将来を考える人が多く、
意思や自信を持たない亭主へのあて付けなのか、亭主がダメだから
妻が頑張るのか分からないが、自然葬の問合せは大半が女性だ。
亭主は「おまえがいいのだったら俺はいいよ」といつも追従している。

同性として、男族よ一日も早く自信を取り戻し、少なくとも
自分の事は自分で考えようとエールを送りたい。

調査によると、6%の人が散骨を好む理由にお金がかからない
から、と理由を挙げた、
そして、イメージとしてお金がかからないと思っている人も事実多い。

しかし、正確に言うと、「無駄なお金をかけなくて良い」、
「内容不明の部分にお金が掛かる葬式ではないから」と
言った方が良く、ただ単に金額の比較で自然葬を好む人が
いたとしたら、この人たちも自然葬は合わないだろう。

日本で平均的な葬式とお墓を購入する金額は350万円とも
500万円ともいわれている。

それに比較すれば自然葬に掛かる金額は少ないのは明らかだが、
金額の多寡だけで自然葬を選ぶのは間違えの元だ。

私は昔、父親の葬儀の時に、余り必要とは思えない受け付け用の
テントのレンタルに30万円を請求されたがこの金額だけでも自然葬は出来てしまう。
比較すべきは、本当に必要なものであれば支払うが、
必要性の感じない、見栄や慣習の為に大事なお金を費やす事はない。

合理性だけを追求するわけでもないが、少なくとも価値が伴わない物への捨て金はしたくないと思っている人が前述の6%の人と信じたい。

現実的にはハワイやアメリカで散骨をする方は「アメリカで
暮らしていて好きだった」「ハワイに来た事があり、
とてもよい思い出の場所だから」等の理由が多く、また分骨も多い。

ということは、日本で葬式を済ませ、お墓に埋葬し、分骨した
御遺骨をハワイや西海岸の海で散骨するのだから、お式を2度する
事になり、お墓を購入されている方もいるのだろう。
当然費用も嵩む。
その理由の一番多いのが、親戚に反対する人がいて分骨であれば
良いと言われてだ。
散骨がまだ理解されていない日本では過渡期として
しょうがないが、お金がないから散骨にしましたという人には
まだお会いしたことがない。

やはり、自然葬の似合う人は自分の進む方向性や、行き方が
はっきりしている方たちなので、経済的以前に、心に余裕があり、
お写真を見るととてもよい顔をされている。

生前にお知り合いになれたらと悔やむことが多いのが何よりの証だろう。

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