散骨屋日記

注:プライバシー保護の観点から氏名・場所などについて内容等を変更し記載してあります。

小園由季子さんの場合( Hawaii・Oahu )

小園由季子さんは、女子大学英文科を卒業し、また成績も良かったことも手伝い、
県内の大手自動車会社に就職していた、何の疑問もなしに、親が勧める学校に入り、
難関をなんなく乗り越え就職。

おまけにこの春からは秘書室勤務となれば、謹厳な親でも、その顔は緩める。

 

小さい頃から親の言うままに生け花と日舞を習い、当の本人も親の意見に従うのが当然で、
今どきの若者にしてはまるで平成の中の明治時代だねと、
親しい友人に笑われことがいつもだった。

家庭という小さい社会から秘書室という小さな社会に移っただけで、
大きな世界とは無縁の隔絶された毎日を過ごしていたといえるのかもしれない。

だが、秘書室に勤務して3年目のこと、
いままで毎日の、自宅と会社との通勤の平凡さを打ち破る、
彼女の恋愛に対する考えに、
ガリレオが地動説を唱えたようなことが起きた。

 

彼女にとつての恋愛は、時が来れば成就し、親が勧める人でも何等問題は無いし、
はじめは愛を余り感じない相手でも、二人で一日一日を過ごすことで、
その恋を強めていくものと信じきっていたふしがある。
一般的には、初めに恋愛ありきの場合が多いが、
恋愛とか異性に余り興味を持たなかったか、
ある種の恐れを感じていたのであろう。

そんな彼女に突如として降りかかった事件とは、

 

秘書として担当していた購買担当のK専務から、重役室に呼ばれたのが事の始まりだった。

要約すれば、今まで数回重役を訪ねている取引先のOO専務と同道している
実験部の
Aが由季子さんをみそめたということであり、一度お会いしたい、
しかしながら相手はクライアント会社の秘書課に勤務しており、
公式に話を通じさせないと、失礼に当たると考え、
自分に言ってきたということであった。
専務は、これまた時代がかったというか、
筋を通した話ではあると笑って伝えた。

親に伝えると、親としても小学校から女子の学校だっただけに
男友達が一人もいなかったこともあり、
専務さんからの御話であれば一度会ってみたらと話はとんとん拍子に進んだ。

由季子さん本人は彼が何度も来社したと言っても、

顔一つ覚えているわけでもなくまったく覚えていなかった。

 

人間には不思議な成り行きで生活が変わる、いや社会が一変してしまうことがある。

 

見合いを兼ねた、初めてのデートの時にも、その「一変」がおきた。

由季子さんは彼に会うなり、この人には昔から逢っている、
いやそうでなければ、逢うべくして逢った運命の人だと感じたという、

それが証拠に懐かしさにも似た、香りをそのときに嗅いだと言う。

その不思議が二人を1ヶ月後に結婚させた。

そこまで急ぐ理由はなかったが、二人は一緒に居なければならないという

二人の心に従い、結婚を急いだ。

親も二人の真摯な心に賛同せざるをえなかった。

 

二人の甘い生活は楽しかった、今までの由季子さんの生活は何であったのかと思う程
生活に色があった。いろいろの色に満ち空気にさえも色を感じた。

 

ちょうど結婚後1ヶ月の9月11日その日は、米国で非常事態が起こり、
市内の超高層ビルに飛び込むジャンボジェットの姿を何度となく映した。

その日、遠く離れた日本の高速テスト場で実験中、
操縦不能となり1人の男性が命を落としたことは米国の事件で賑わう新聞には
1行たりとも報道されなかった。

 

由季子さんの毎日は、光と色を失った、時間も失い。
生きる廃人であったのは想像にも易い。

誰の声も届かないセピアの世界を彷徨よった。

世の中をさまよい、そして宇宙を、時を忘れて独り彷徨よい、
幾度となく自分自身を忘れたいとの思い強くしたこともあった。

しかし、自然の持つ自然治癒力は時と共に、
身体と心にもその効力を発揮してくれる。

 

新婚旅行の、ハワイで見た海、その壮絶な青さが、楽しかった思い出の断片を繋ぐ

ジグソーパズルのような療法だったのかもしれない。
青さの中に基点を見つけそれを繋ぎ合わせることで楽しさのメモリーを引き出した。

しかし、自然の色を取り戻すのに8年の年月を必要とした。

そこまで来ると、悲しさを引きずることは何も生み出さないという、確信が生まれ、

彼が望んでいることはそんなことではない、けりをつける、区切りをつけなくては。

人の暮らしに人生にも四季がある、春夏秋冬の一つを引きずったら、
春が来ない冬も来ない。

そんな気持ちがハワイでの自然葬を決断させた、
彼も好きだったハワイの紺碧の海と太陽の輝き。

 

79人乗りのヨットに一人だけのチャーター。

あとの78人分は彼の御遺骨と短くても船いっぱいの思い出を載せて。

 

献杯も終わり海の友達達に彼を仲間にして上げてねと願い、
まだこんなに涙あったんだと最後の一滴も顔一面にぶちまけ散骨を行う。

 

そのとき操舵室から船長のジョンが声を上げる「すごい、イルカの群れだ!」

徐々に近くに寄ってきた何十頭ものイルカの群れがカタマランの周りで踊る。

 

帰港し、ホテルに向かう車の中で、
「あの時見えたのです。飛び跳ねたイルカが彼です。」

そして、「これまでありがとうって」という目にはもう涙は無かった。

「僕はここが大好きだって彼の声が聞こえたの」

「これからはもう引きずりません、わたし。
彼が航海の道しるべをくれたのですから。」

由季子さんの顔には安堵と共に、これからの人生に向かう出航の準備が整っていた。

端正な顔には、力強さと、穏やかで、静かな自信とが満ち溢れ、
その瞳には、これから向かうべき星が輝いているようだった。

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