散骨屋日記

注:プライバシー保護の観点から氏名・場所などについて内容等を変更し記載してあります。

中木美智子さんの場合( Hawaii・Oahu )

昭和16年12月7日午前7時55分(ハワイ時間)
真珠湾攻撃は1通のモールス信号と共に始まった。

日米開戦の瞬間とも言うべき攻撃隊隊長機からの
攻撃開始命令暗号「ト」連送。

後に続く暗号「トラトラトラ」(我、奇襲に成功す。)でもたらした
戦果は翌日の新聞のトップを飾り、国民を歓喜させ、
米国への宣戦布告ができるほどに大国となった大日本帝国を
人々は誇り、その実は、真実を知り得ない人たちを盲信させ、
悲劇を拡大して行った事は歴史に詳しい。

帝国海軍は、空母六隻、航空機353機で攻撃を敢行、
第一次攻撃隊の1波及び第2波攻撃で、米国戦艦
オクラホマ、アリゾナ、カリフォルニアなどを撃沈その他の
多数の戦艦や駆逐艦などを大破し奇襲の成果は果たしたのだが、
攻撃時に撃墜された飛行機が29機、真珠湾にいまも眠る
英霊が55名にもわたることは余り語られて来てはいない。

真珠湾に帰還方法もなく攻撃しようとした二人乗り特殊潜航艇
5艇の乗組員は10名中9人が戦死。(1名捕虜)
戦死した9名は軍神となり神に昇華された。
しかし、55名(一説によると54名)もの攻撃機での戦死者に
ついては、国民を鼓舞するには大きすぎる犠牲だったからか、
片隅に葬り去られている。

1941年(昭和14年)早春、鹿児島県の海軍航空隊基地から
飛び立った零戦や艦爆機による魚雷攻撃訓練が毎日のように行われていた。
毎日の疲れは極限を極めていった。
航空隊第1中隊はその中でも全国の航空隊からの精鋭を集めているだけに、
隊員も選ばれた光栄と、中隊の中でも人に
先んじる為には過酷な訓練も厭わなかった。
たまの休日にも隊に残り学科を勉強する若者の中に森脇少尉がいた。

森脇光彦、任官し航空隊に配属された直後だけに身の引き締まる
思いがその風貌にも表れている。

来週の日曜日には宮崎の叔父の家に届け物をせねばならず、
遅々として勉強が進まずイライラがつのるばかりで、
過ぎてゆく時間が恨めしく思えた。

日曜日は季節はずれの台風が南部を襲い、1時間に1本の汽車が
2時間も遅れて到着し、普通だと3時間でいける距離を
6時間かけて叔父の家に到着した。

でもその台風のおかげなのか、月曜日の訓練は中止となり、
火曜日の午後までに帰隊すればよい事になっていた。
久々の<娑婆>での時間は勉強の遅れで、楽しく感じられる
どころか早く帰隊したい思いで一杯だった。

叔父は九州1円で市販薬の問屋をしており、軍にも商品を卸していた。
戦時中のため入荷する薬品も限られてはいたが、商才もあり、
また多くの人からの人望もあった。
地方名士としてその羽振りは良かったようだ。

久々に光彦が訪れると言うので、夕食はすきやきにしようという
ことになり、4人家族と光彦、それといとこの春江の
小学校からの親友美智子が加わった。

美智子は土地の素封家の父がやはり地方の名士として、
叔父と友好があり、家族も美智子を家族の一員のように接していた。

楽しい団欒と共に食事を終え、「それでは美智子がピアノを
弾きまーす」と春江がおどけた声で紹介し、ピアノ演奏が始まった。

光彦にとっては始めての生のピアノ演奏だった、曲名も作曲家が
誰だかも分からなかったけれども、その曲の音色、
生まれて始めて聴くピアノ曲は、光彦の心を、
まるで急速空中旋回のような気分にさせた。
美智子の白い肌もピアノを弾く指先も何もかもが
始めての空中旋回だった。

始終無口だった光彦に春江は「具合悪いの?」と尋ね、
一瞬後に「分かった!フフフッ」と笑い転げながら
「光彦さんはみっちゃんに!」などとからかい、
美智子は隣で恥ずかしそうに微笑んだ。
次の日も天気が悪く外に出られず1日中3人で、トランプをしたり、
文学の話をしたが、光彦にはチンプンカンプンであった。
航空力学の話は誰もしないのだから、
もっぱら聞き役に回った光彦は、まぶしすぎて美智子の指さえも
見る事は出来ない。
悪い天気がこんなにも気分良く、1日がこれほど短く感じられる
のは、生れて初めての経験だった。
すぐに帰隊しなくてはいけない時がきてしまったが帰る汽車の時間の長さも気にならず、心はまるで飛行機に乗ったように快適に、
スピード感に満ち溢れていたのだろう。

心に何かの拠りどころや余裕ができた光彦はそれからの訓練が
より楽しくなり、いままで頭に入らなかった難解な理論の学科も
面白いように理解できた。今度いつか、ピアノ曲のレコードも
買いたいと思った。

それからの光彦は叔父の家によく訪れたと言う。

そして昭和16年10月戦局は中国各地や東南アジアに
拡大していたが、時局柄、結婚に大乗り気の叔父の仲介で、
光彦と美智子は婚約し、結婚式は来年の4月と決まった。

ちょうどその頃、日本軍司令部に海軍司令部からの極秘作戦企画が
提出された。

大本営もこれ以上の戦局の拡大には難色を示していたものの、
奇襲による緒戦で敵を壊滅的にたたかなければ勝算は無いと言う声は大きく、
すぐに可決され、真珠湾攻撃のシナリオは実行に移されていった。
もとより二人が知る術も無い所で。

光彦は、以前にもまして長時間の訓練を続け、
激しさは日に日に増してくるが、
たまの休日に美智子と逢うことを思えば疲れが癒され、
精神的にも肉体的にも青年将校としての逞しさや
風格をも醸し出すようになっていた。

しかし、徐々に、二人の逢える機会を確実に減らしていく。
そして二人が会える最期の休日に、光彦は訓練で長期航海に出る
ので数ヶ月会えないと耳元に伝えた。

当然ながら光彦自身もどこに行くのかは知らされてはいないし、
知っていたとしたら、心の動揺は容易に光彦の精神までも
病ませる事となっていただろう。

そして、12月8日、真珠湾攻撃第2派攻撃隊の一員として
空母「赤城」から出撃した光彦は、戦艦ペンシルベニアに爆弾投下後、
敵機関砲を左翼に被弾、たった1発の弾がタンクを貫通し、
被弾を隊長機に報告した瞬間、ガソリンに引火し空中で爆発炎上
、火の玉は落ちていくのを嫌がるように、そして、
涙の雫ようにゆっくりと落下したと言う。

美智子に訃報が届いたのは4ヵ月後の事で、詳しい状況が
わかったのは戦後になってからだった。

詳しい状況がわかっても光彦が帰って来るわけではないが、
来月に結婚式だというある日、光彦の実家から理由も知らされない
「戦死通知」。
驚きと虚無感が美智子の体中を走った。
緒戦を挫く筈の真珠湾攻撃は逆に人種のるつぼのアメリカ国民に
火をつけ、一つにまとめあげ、日本はもろくも砕け散った。

戦時中に県会議員として活躍した美智子の父親は、終戦を境に、
広大な土地を手離さざるを得ず、今までとのギャップは心を弱らせ、身体を痛めた。

もう2度と結婚する事は無いと心に誓った美智子に、
戦後のどさくさや闇市で財を成したた隣町の実力者から、
「息子の嫁に」と話があったのもその頃だ。

名家の血筋と彼女の美貌が目的だったことは明白だったが、
生活に基盤を全て無くしてしまった父親は、ことの善し悪しよりも、日々の経済を重視して美智子に懇願し、半ば生きる気力を無くしていた美智子も嫌々ながらも受けてしまった。

結婚してからは実家の食料は潤沢になったものの、
その分美智子の心は削られていった。

それでも、3人の姉妹にも恵まれ一時的には外面的に幸せな時を
過ごしたが、それも長続きせず、女にギャンブルにと月々の
生活費さえも滞らした夫は、ついには失踪してしまう。

見るに見かねた知人の紹介で、近所のお店の手伝いをするような
暮らしが続いたが、彼女にとっての幸せは3人の子供の成長だけで、
賢母を全うし、自分自身への見返りは全く求めなかったが、
長女の結婚式にそれを伝え聞いた夫が、小さな田舎町での
見栄の為に式に参列したいと言ってきた時には頑強なまでに
申し出をはねつけた。

日本の経済も着実に復興すると共に、家族の生活も安定し、
心も充ち、笑い声も響くようになり、二女、三女と良縁を得た。

美智子の幸せはその厚みも大きさも広がって来た。

特に、孫が生れた日には、昔弾いたことがあるというピアノを
皆の前で弾き、驚かせもした。人生で忘れていたものを思い出し、団欒は弾んだ。
そして、夕食のすき焼きが言わせたのか、初めて飲んだワインが
彼女の口を軽くさせたのか分からないが、心の奥底に封印した
光彦の事を今は成人した三姉妹に打ち明けた。

そして8月、久しぶりの幸せもつかの間に、彼女の波乱の人生は
あっというまに閉じてしまった。
でもその顔は子供達を立派に成人させた母親だけが持つ、
自信に満ち溢れ晴れやかなものだったという。

12月7日(ハワイ時間)9時パールハーバーの横に位置する
ワイレアから一隻のクルーザーが出航した。
サロンの中には弥生さん、睦月さん、カンナさんの三姉妹が見える。

ハーバーから出て普通は右に旋回し、ワイキキ海岸沖に行くのだが、きょうは左に回頭しパールハーバーに向かう。
船長には事実を話し、特別にパールハーバー湾内のどこにでも行ける許可を受けている。

美智子さんの思い出話が進み、今日の日を待ち望んだ美智子さんの顔がみんなの心に浮かぶ。

「あんな質素なお母さんだったけど、今日の式を私達からの
プレゼントだって言えば怒らないよね?」睦月さんが言えば、
長女の弥生さんが、「私が一番質素の影響受けたんだから。
私が許すよ」等と切り返す。

楽しい時間が過ぎ、白い骨壷が船尾のスターンテーブルから
海に解き放たれ、旋回し沈んでいく。

壷につけた白と紫の花と一緒に。

その姿は、長いこと着飾った事も無いのに、精一杯おしゃれをして、一刻も早く海底で待つ光彦と逢いたいと言っているように。

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