散骨屋日記

注:プライバシー保護の観点から氏名・場所などについて内容等を変更し記載してあります。

小柴英明くんの場合( Hawaii・Oahu )

満月よりも三日月の方を好む人が多いらしい。
丸々と自信に満ち溢れたような満月よりは、何とは無しに少し
やせ細っていた方が可愛げもあり、ひ弱そうに見え、
何か手伝ってあげたいような気にさせるのであろう。

その日は、沖合に出ると、朝なのに上弦の三日月が見え、
三日月といってもやせ細った「月の剣」とでも呼ぶような、
すこし頼り気ない、それでいて切れ味は確かそうな刃のように
白い光を照らしていた。

今日は2年前のちょうど同じ日にオアフ島ノースショアで散骨を
行った、小柴英明君の慰霊の会とでもいうか2回忌とでも呼ぶ会の
為に出航したのだ。

ご両親、兄弟そして私達、船長とクルーの全員で8名。

船長はドクターシンプソン氏、船長の肩書きと文学博士の肩書きを
併せ持ち、それでいてユーモアーセンスがあり、時々皆を笑わせる。
船長も2年前と同じで船も同じ「ドラゴンレディー号」
60フィートのパイロットハウス型のクルーザーだ。

船名には驚かされるが、船内にもドクターの趣味が反映し、
日本人形などが飾られており、海のイメージと博多人形はどうも
そぐわない感じがするのだが、本人が気に入っているのだからしょうがない。

いつもはワイキキに近いマリーナに停泊しており、
前回と同じように前の日にマリーナを出航しノースショアの港に回航してもらった。

小柴君は千葉県の市内部に住んでいたが、高校に入る前から
サーフィンに魅入られ、週末になると電車で県内の有名な
サーフスポットに通っていた。

その為かどうかは分からないが、大学受験の勉強には力が入らず、
お父さんの伸義さんから叱られる事はしょっちゅうだったが、
サーフスポット巡りは続いた。

伸義さんは、大学の工学部卒業後ビル設計会社に永年勤めており
幹部として、仕事の忙しさにかまけ、子供達と遊んだことも
めったになかった。かといって自分の趣味もなく、
たまの休日にも家で設計関係の本を読んでいる始末であった。

早朝から海で遊びに出て行く英明君を苦々しく思い、
衝突することも度々だが、大学だけには入ってもらいたい思いで、
英明君に取引を申し出た。

「国立か公立の大学に入学出来たら、車を買ってやろう。
但し、軽だぞ!」と。

毎週行くサーフィンの為には車があれば、その中で休めるし、
泊まることも出来る。

願った事もない交換条件は英明君を発奮させ、
サーフィンを止めてしまったかのように勉強に打ち込ませた。

1年後の結果は、新設学部ではあったが市立大学に入学。
憧れの軽自動車のワンボックスタイプを購入してもらえた。
それからはもっと伸義さんが苦々しく思う日が続いた。

機動力がついた英明君はガソリン代はアルバイトで稼ぎ、
いつ学校に行っているのか分からないぐらい、動き回った。

北の風が吹けば、鹿島や上総一ノ宮のポイント。
南が吹けば湘南の由比ガ浜や伊豆半島などと、
千葉や茨城だけでなく波を求めて走り回る日が続く。

努力(?)のせいもあり、関東大会で、3位に入賞し、
ハワイ招待の航空券まで手に入れた。

ハワイでは入賞も出来なかったし、それどころか自分の腕では
大きな波の来る海には出られないことも知り、サーフィンの底の
広さと、技術の高さを知り、腕を上げようと世界を広めて行った。

ハワイから帰ってからは、「アメリカの西海岸とハワイの間にある
スポットは季節によっては40フィート(約15ミリ)以上の波があって、そこに行くには船をチャーターして2日ぐらいかけて行くらしいよ、行って見たいな」などと夢は前以上に広がっていった。

毎晩、新聞の夕刊を読むが、読むのは天気予報が主だった。
高気圧・低気圧の配置で翌日の波をも読めるのだ。

それから3ヶ月も経たない冬のある日、突然英明君は逝ってしまった。

冬場のスポットとして定評のある、伊豆半島でのサーフィン中に、
海底の隠れ岩に衝突し、頸部を折ってしまったのだ。
初めて行った場所で、隠れ岩等の情報を知らなかったのか、
波に乗っていた初心者への衝突を避けバランスを崩したのが原因らしい。

サーファーに言わせると、大きな波は怖くないけど、初心者が一番怖いらしい。
どこに行くのか分からないので、それを避けるのが難しいのだ。

駆けつけた伸義さんはどうしようもない気持ちで海を呪った。
そして、車を与えた自分を責めた。
車さえなかったらこれ程までにサーフィンに熱中する事も
なかったのに。と悩んだこともあった。
言葉少ない伸義さんが前以上に言葉少なくなり自分を責め続けた。

そんな時、妻の芳江さんが「あれだけサーフィンが好きだったの
だから、サーフィンのメッカだって言うハワイのノースショアで
送ってあげたらどうだろう?」その一言でノースショアでの散骨が決まった。

2年間が過ぎるのは早いものだが、伸義さんにとっては長い長い時間だっただろう。
そう言えば、自然葬の間じゅう伸義さんは一言も話さず、
参列者への挨拶も芳江さんがした。
港を出て暫く行くと、サーファー達が遠望できる。
海岸で休むもの、ただ見物する人達。
初心者からプロと思えるような技を見せるものまで、
日に焼けたたくさんの人がボードで浮き沈みしている。

左舷のデッキにいた私の所へ伸義さんがそっと寄った。
「海や、サーフィンが大嫌いでしたよ。
前からね、でもこの2年近くはもっと嫌いでした・・・そして自分の事もね」

「何でこんな危険なものに人が魅了されるのか分からないし、英明が惚れ込んだのかもね」
そう語る伸義さんの顔色は以前の青白さがなく、日焼けしたくましさが漲っている。

「ずいぶん日焼けしていますけど、ハワイに来てからですか?」
と聞くと、
「いや違うんですよ。あれから英明の行った、スポットって言うそうなんですが、そのサーフィーンの場所にね。全部行きました。」

「そして、一日中サーファーを見て、何でこんなもん好きなのかって考えたんですよ」

10ヶ所以上の場所に行き、サーフィンもせずに一日中中高年の人が魅入っている姿を想像しあやうく笑ってしまいそうになった。
それを見透かすように、「そうなんですよ、自分でも笑ってしまいますよ。一日中ですもんね」サーファーにも顔見知りが出来たそうだ。

その仲間たちはとても礼儀正しく、生き生きとしていたという。
ごく普通の青年たちで、学校をサボったり、仕事を持たない
者達ばかりだと思っていた自分が恥ずかしくもあった。

英明君の顔見知りにも会えたそうだ。英明君は仲間内では
「ヒデさん」と呼ばれ、一目置かれる存在だったらしい。

「それでね、ようやく最近になって分かったんですよ理由が。」
「自然ですよ自然」
訳がわからない目を向けると、可笑しそうな顔をして目を細め、話を続けた。
「英明が魅せられた物は自然だったんです。」
「こんな大きな宇宙と地球、海と波、みんな一つのものなんですね」

「僕の世界では、あって当然のもので、それを感じることなんか考えもしなかった」
「小さい世界だったんですよ。でも英明のは違う。もっともっと大きくものを見てたんですね。自然を感じる為の手段がサーフィンだったんです。」
「そして、自然に帰っていった。それだけなんですよ」と独り言を言うように語り、

ハッと気がついて、恥ずかしそうに、「昨日、町を歩いていて
こんなもん買ったんです」と袋の中からDVDを2枚引き出した。

「これ知ってます? ステップ イン リキッド て言う映画なんですが」
サーファーだけでなく若者に大評判の映画で、いつか英明君の
言っていた大波で有名なサーフィンのスポットや世界中の
スポットでプロが挑戦するドキュメントだった。

「これを、英明に見せてあげようと買ってきたんですよ。」

「すみません、これを海に入れても怒らないで下さい、
本当は内緒にしようと思っていたんだけど」

「それはいいんですけど、でももう一枚は?」
「僕用ですよ、ずっと見ていたらサーフィンが好きになってきましたから、まさかこの年では実際には出来ないのでね」

その時、GPS(位置測定器)を見ていた船長が、自然葬を行った場所への到着を知らせてきた。

汽笛を3回鳴らし、合図を送り、今回もたくさんの花が撒かれ、トロピカルフラワーのレイ(※)と一緒にDVDを海に投げ入れる。

< 注※レイを投げ入れるのは、現地では[ see you again ]の意味があると言う >

それを見ていた船長が、顔をしかめ、「これじゃあどこもかしこもサーフィンばかりだな」と、ウインクしながら指さす方を見ると、そこにはさっき見た、細長い月が白い雲の上でサーフボードのような形をして浮かんでいた。

最近はGPSの発達のおかげで、数十センチの誤差は有るものの
正確に位置を測定することが出来る。例え何の目印のない海の上
でも自然葬を行った場所を特定できるのだが、
そこの場所に行かなくても、慰霊は出来る。伸義さんはその後も、
海を見るたびに英明君を思い出せると、今でもちょくちょく
芳江さんとサーフィンを見に出かける機会が多くなり、
昔よりはずうっと会話も増えたと言う。
歳は取らなくても子供に教えられることは多い。

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